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『空と海のあわいに』第5話の(2) - GQ JAPAN

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スーパーマーケットにはいろいろな匂いが立ち込めていた。甘い匂い、香ばしい匂い、酸っぱい匂い、甘いだけではなく少しただれたものが放つ刺激を含んだ匂い。それらがひと塊になって、大輔の嗅覚をくすぐってくる。

元々、料理はきらいではなかったが、一人で暮らすようになって前よりもするようになった。スーパーマーケットに行く機会も増えた。ここでは季節が切り売りされている。店頭には7種類ものキノコが並び、果物のコーナーには柿があった。それらをカゴに放り込む。それから、牡蠣も。何を作ろうか具体的なアイデアがあったわけではないが、気軽に秋を買った。

外に出ると、さっきより風が冷たかった。パーカだけで出てきたことを後悔した。パーカは春先に買ったイーストファーイーストだ。

今朝、伝手を頼って紹介してもらった会社の面接を受けた。中規模の文具メーカーの事務職だった。灰色のスーツを着た中年の男は親しみやすく、話しやすかった。「もし、仮に」この会社に入ったらフットサル部に参加しないか、などと軽口を叩く。採用かいなかは一週間以内に連絡をするといわれたが、多いに脈はありそうな気がした。失業保険の給付金ももうすぐ終わる。こうやって、すごく良くもないけれど、それなりに生きていけてしまう。そんな大輔を要領がいいという友人もいたけれど、自分ではむしろ逆だと思っている。

買ってきた食材をいったん冷蔵庫に仕舞い、洗濯物を洗濯機に放り込んでボタンを押した。一息つこうと缶ビールを開けた時、一樹からLINEが来た。

──この間のウイスキー、まだ残ってる?

──当たり前じゃん。そんなに毎日酔っ払ってられないよ。無職でも。笑

──じゃあさ、飲みに行くわ、これから。

猫がコミカルに両手で丸を作っているスタンプを送った。

牡蠣を残り物の野菜と一緒に炒めようと思っていたが、鍋に変更しよう。そう思いつき、鍋の準備を始めようとしたら、カセットコンロもココットの鍋も礼美(れいみ)が持っていったことに気がついた。仕方なく、フライパンに水を貼り出汁のパックを入れた。

一樹がやってきた。香ばしい匂いの入った紙袋を抱えていた。アメリカっぽい顔のイラストが並んでいる白い紙袋は広尾にある「アンド ザ フリット」のもので、中身はフレンチフライだ。箱が二つ。一つには黒トリュフマヨネーズのディップ、もう一つのはチリ&サワークリームだった。ソーセージも入っていた。

一樹いわく、

「ウイスキーに合いそうなフレーバー選んだんだ」

彼はフライパンに入った出汁パックを見て笑った。その夜の夕食は、たっぷりのフレンチフライとソーセージとウイスキーの水割りになった。この間、一樹が持ってきたフランス産のウイスキーで、ベルボワという銘柄だった。

一樹は、ポテトを半分に切った形のフライに黒トリュフのディップをたっぷりつけながらいった。

「ダイ、まだ暇? 内緒のバイト探してない?」

「まだって、なんだよ。またピンチヒッターで回せっていうの?」

「や、そうじゃなくて。もうちょっとまとまって時間あるかって聞いてんの」

「まとまった時間?」

「うん。そうだなあ、三週間ぐらいかかるかな」

「新薬の治験と遠くへいって住み込みはやだよ」

「何いってんだよ。そんなことじゃないよぉ。再来週あたりからさ、鎌倉に滞在できないかな」

「ああ、あの叔父さんの別荘?」

「うん。いるだけでいいんだ。食費も払うって」

九月の大型台風で雨戸と外壁が壊れ、それの改修と同時に居間を改装することになったのだという。大工を入れる期間、家にいてくれる人を探している、とのことだった。鎌倉と夏の記憶はすっかり心の隅っこにしまい込まれていたけれど、鮮やかに潮の匂いがよみがえった。暮れかかった海の景色も思い出した。

面接を受けた会社からは一週間以内に連絡がくる予定だし、採用になればすぐに出社してもらいたいともいっていた。でも、このままサラリーマンに戻るのは気が進まなかった。自分がもったいない気がする。

ほんの一瞬だけ迷って、大輔は一樹の申し出を引き受けた。面接を受けていることはいわなかった。

「それにしても、全然使わない別荘を改修するなんて、ご苦労様って感じだな」

「おじさんも、あそこで生活するつもりはあるんだよ。この仕事が終わったら、今の忙しさが落ち着いたら、って思っているうちにどんどん時間がたっちゃうんだって。でも、あの家があるだけで安心するっていってた。いつかはあそこに帰ればいい、みたいな」

「ふうん。変わってんなあ、金持ちって……」

「鎌倉のあの家の存在が田舎の母ちゃんみたいなもんなのかも。なーんて、そもそもおれたち田舎がないからわかんないけどな」

そういって、フレンチフライを頬張った。

つづく

PROFILE

甘糟りり子

神奈川県生まれ。作家。大学卒業後、アパレルメーカー勤務を経て執筆活動を開始。小説のほか、ファッション、映画などのエッセイを綴る。著書は『産まなくても、産めなくても』(講談社文庫)『鎌倉の家』(河出書房新社)など。

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December 20, 2019 at 07:30PM
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