2002年から不動産投資を開始した石原博光さん。自身の経験や考え方をまとめた『まずはアパート一棟、買いなさい!』など計6作の著書があり、累計発行部数15万部を誇ります。
今回は、そんな石原さんに、「不動産投資と本」にまつわるお話を語っていただきました。1作目を世に送り出すまでに経験した苦労など、出版秘話に迫ります。
無性に本が書きたくてたまらなくなって…
こんにちは、石原博光です。今回は「本」をテーマにしたコラムということで、まずは僕の経験をお話ししたいと思います。
僕はこれまで6冊の本を執筆してきました。1冊目を書いたのは、目の前で起きている人生逆転の方法を、世の中の人にもっと知ってもらいたい、という純粋な気持ちからです。誰に頼まれることもなく、無性に本が書きたくてたまらなくなりました。本当に不動産投資で資産を築くことができるんだという衝撃的な感動を、自分で記しておきたかったんです。
1997年に貿易会社を興していた僕は、2000年ごろに、それこそ本がきっかけで不動産投資の世界を知りました。今では絶版だと思いますが、小川慎さんという方の『サラリーマンの私が3年で2億円 驚異のアパート投資法』という本です。
貿易の仕事は、「その日暮らし」とまでは言いませんが、1年後の売上が見通せるような仕事ではありません。常に売れるものを探し、企画書を書き、デパートの外商部などに営業に行き…と、殺伐とした毎日。そんな時に不動産投資を知り、頭をガツンと殴られたような感覚でした。
そこからすぐに投資を始めたわけではないのですが、2002年に自宅兼オフィスを新築した際には、3階建ての建物にして、それぞれ水回りや電気なども別にして、将来いざという時には賃貸に出せる仕様としました。お金はかかりましたが、不動産投資の考えがそこに生かせたと思います。実際、現在この物件はミニホテルとして一棟借り上げてもらっています。
「不動産」と名の付く本は片っ端から読み漁り
その後、2004年に1棟目となる千葉県の木造アパートを購入しました。そこからは物件を買い進めていき、最大で7棟72室にまで拡大させるわけです。この、新しい世界に身を置いて、まるで冒険のように歩みを進めていく中で、その感動をもっと大勢知ってもらいたいという気持ちが抑えきれなくなっていきました。そして「そうだ! 本を書こう!」と思ったのです。
大家業を始めた頃、僕の知識は当然ですがほとんどありませんでしたから、勉強のために「不動産」と名の付く本や雑誌を片っ端から読み漁りました。ただ読んで満足してもダメだと思い、気に入った本は10回、15回と、内容を覚えてしまうほど繰り返し繰り返し読みました。おそらく、4、500冊は読んできたのではないでしょうか。
それこそ、湯船の中やトイレでも、一瞬すら惜しむように読書を続けました。おかげで、湯気でボロボロになってしまった本は数知れず…(笑)。
そうやって勉強しつつ大家業を実践して、僕も不動産投資の手法を手探りで見つけました。そうしたプロセスそのものは、初心者にとって大きな糧となります。だからこそ、この情報を必要としている人は必ずいるはずだと思いました。だから、生意気にも僕がやってきたこと、僕が見つけてきた答えを必要な人に伝えたいと考え、本に著したいと思ったのです。
出版できる確証もなく、とにかく執筆を始めた
当然、本を出版する方法なんてわかりませんでしたから、まずは自分自身のパソコンで、とにかく書き始めました。これはもう僕の性格だと思います。本を書きたい! と思った次の瞬間に、とにかく執筆活動を始めてしまったんです。
仕事も相変わらず忙しい日々でしたが、仕事が終わると、目黒のドトールコーヒーに通いました。まるで儀式のように、ブラックコーヒー2杯を飲みながら、文章を書くのが日課でした。見返りも、出版できる確証もありません。
そんな僕の姿に、ある時顧問税理士が「石原さん、そんなことをしても無理だよ」と言ったんです。「本当に本を出したいなら、自費出版をする会社があるから紹介してあげるよ」と言われ、無理と決めつけられたこと、そして自分の未熟さもすべてがすごく悔しかった。だからこそ、絶対に商業出版(すべての費用を出版社が負担する)にこぎつけてやる、と強く心に誓いました。
振り返れば、僕の人生の転換期は何か悔しい思いをして、それをバネにしている部分があるかもしれません。だから、今ではそう言ってくれた税理士の先生に感謝しています。
「出版」の高い壁と挫折の日々
半年ほどかけて原稿を書き上げた僕は、書店に並んでいる不動産本の出版社に片っ端から連絡をとり、完成した原稿を送りました。よく覚えていませんが、口に出すのも恥ずかしい、ろくでもないタイトルをつけていたような気がします(笑)。
10社以上に送りましたが、多くの出版社から「残念ながら」と定型文のペラ紙1枚とともに原稿を返されました。音沙汰もなく、「もしかしたら」という思いで電話をかけた出版社もありましたが、その電話で「出版は難しい」と断られたところもあります。僕の原稿は、読んでいないようでした。
でも、どこがダメなのかを知らなければ改善ができません。そこで、それを教えてもらおうとまた1社1社電話をしていきました。ほとんどは相手にしてもらえませんでしたが、たった1社だけ、正直に答えてくれた会社がありました。
「第一に、石原さんが何者かわからない。まったくの無名の人物が書いた内容が良いのか、悪いのか、精査する時間を割くことはできません」
担当者は、そう話してくれました。そして、ぽろっと、次のようなことを言ったんです。
「第三者の評価で、この人は認められている人だということがわかれば、会議に持って行きやすいんですけどね。例えば、ブログランキングで1位をとるとか」
それを聞いて、僕は次の日からブログを書き始めました。
"本" - Google ニュース
March 18, 2020 at 04:01PM
https://ift.tt/2TXrOZ2
不動産投資本を出版した投資家、1冊目はどう出した? - 楽待
"本" - Google ニュース
https://ift.tt/2sW4orS
Shoes Man Tutorial
Pos News Update
Meme Update
Korean Entertainment News
Japan News Update
Bagikan Berita Ini
0 Response to "不動産投資本を出版した投資家、1冊目はどう出した? - 楽待"
Post a Comment