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書店員の「聖地」は本を求める人々が深呼吸するビオトープ-鳥取「定有堂書店」 - Nippon.com

東京の郵便局員が1980年、鳥取で小さな書店を始めた。近隣にあった書店のほとんどは姿を消したが、その書店は自分で考えるために本を必要とする人たちの場所として街に生き続けていた。

書店員の「聖地」

 鳥取駅に降り立つと久松山が見えた。藩主池田家が治めた江戸時代には鳥取城があったという。城が明治維新で取り壊されて以後も、麓は県立博物館、県立図書館、県庁などで固められ行政の役割を担う地区になった。

 久松山に通じる目抜き通りには、因州和紙を扱う文具店や手作り万年筆の店などご当地の商いが健在だった。

 商店街のなかほどを袋川が横切る。ほとりに桜並木。その川辺からすぐのところに定有堂書店はあった。

定有堂のすぐそばを流れる袋川
定有堂のすぐそばを流れる袋川

 誰もがすっと入っていけそうな親しみのある外観だ。定有とは「概念的としてではなく実際に存在する」というヘーゲル哲学の言葉だという。

 開店したとき、近隣には24軒もの書店があった。1980年のことだ。
 40年で界隈の書店は徐々に姿を消し、今では2軒になった。その間、バブル期やその崩壊後の景気低迷、地方経済の縮小、そしてインターネットのインフラ化など、書店業にとって厳しい変化が続いた。店主の奈良敏行さんは、「時代とともに店も変わる」ことを意識して書店を営んできたという。

店主の奈良敏行さん
店主の奈良敏行さん

 だが、この書店は誰もが気軽に立ち寄る店というわけではないらしい。
 鳥取出身のある編集者はこう解説した。
「鳥取市に住んでいれば定有堂を知らない人はいません。でもふつうの人は郊外の大きな書店に行くんです。定有堂書店は本好きが行くちょっと特別な本屋さんだと思います」

 私が定有堂を知ったのは、本欄でも紹介した福岡「ブックスキューブリック」の店主・大井実さんの著書『ローカルブックストアである』を読んだ時だ。大井さんが書店を開く前に教えを乞うた唯一の書店だと書かれていた。

 決して大きな書店ではない。著名作家を招いたブックトークに熱心なわけでもない。けれど、全国の書店員が憧れる「聖地」なのだという。

本のビオトープ

 角の部分が丸いカーブを描くクラシックな3階建ての建物は昭和30年代につくられた商業ビル。開業にあたり、銀行から借り入れをして購入した自社物件だ。
 1階が店舗、2階に事務室と「定有堂教室」などのためのスペース、そして3階はカフェを営む30代に貸している。教室では太極拳、心理学講座、映画のクラス、読書会などを開いてきた。奈良さんは太極拳指導者の資格を持つ。

 入り口の右手には新刊コーナー。小説、ノンフィクション、思想書など、ここ1年、書評で見かけた話題の本たちだ。続いて人文書、現代思想と続く。

 棚のあちこちに見出しがつけられている。「過剰適応をやめる」とか「小さな道しるべと自己肯定」いった言葉とそこに置かれている本には必ずしも脈絡はないが、不思議な調和を醸し出している。

 表紙が見える置き方でゆったりと並べられている棚の割合は多い。書棚の奥の壁の部分や壁面は映画やアート展のポスターでコラージュのように埋められている。

棚はグラビアでコラージュされている
棚はグラビアでコラージュされている

 店内を歩いていると、別の棚で見かけた本に、違うコーナーで再会することに気づく。あちこちの棚に置かれている本は、静かに店主が勧めているのだろう。
 棚から本が話しかけてくるようだ。

 奈良さんは取次から自動的に送られてくる「パターン配本」もうまく利用している。ただし、配本の中身を「理工書を少なめに、人文書を多く」など、自店の読者層に合うよう微調整する。並行して新刊データを毎日チェックし、週刊誌やマガジンハウス系のカルチャー誌の書評に目を通して注文をかける。

 定有堂の棚は少しずつ変化する。
「森羅万象という言葉がありますね。私はそれをこの書店で実現したいと思っています。本のビオトープという言葉がいちばんしっくりきます」
 ビオトープとはドイツ語だという。奈良さんは次のように説明した。
「バイオは生命、トポスは場所です。小さい生き物が持続して生きられる生息空間という意味です。本、あるいは本に関わる人たちの思いが肥やしのように積もり積もって、次世代に繋がっていく、そんなイメージです」

 最近はちくま文庫の棚を大きく広げた。思想や哲学から趣味性の高い分野やエッセイまで幅広く質の高いラインナップを、「本の森羅万象」を体現していると考えたためだ。丁寧な棚づくりの結果、昨年度、定有堂で売れたちくま文庫の取扱高が山陰地方の書店のなかで1位、中国地方で7位となった。

定有堂には懐かしい雰囲気が漂う
定有堂には懐かしい雰囲気が漂う

若者たちの孵化装置

 まるで武士が剣術の出稽古に訪れるかのように、高校生が時折訪ねてくる。主に近くの県立鳥取西高校の生徒だ。哲学を学びたい。思想を学びたい。でも膨大な本の何からどう手をつけていいかわからない。そんな若い問いに、最初から難解な本に突き進むより、まずは幅広く入門的な本を読むのがいいと思う、奈良さんはそうアドバイスをし、蔵書の思想書や哲学書を手渡し、入門書として清水書院の「人と思想シリーズ」を紹介した。

 奈良さんの応援を受けてミニコミ誌『Fragile』をつくった高校生からは、表現者が生まれた。作家水原涼さんと新進の歌人吉田恭大さん。二人は鳥取西高の同級生だ。ビオトープは表現に踏み出す前夜の若者たちの柔らかい感受性を受け止める孵化装置だった。

 ある女性は「わかりやすさ」を強調した報道番組を見るのがつらいと打ち明けた。周囲から天才と目される彼女は「世界はわかりにくいもので満ちている」と感じていた。彼女にとって「わかりやすさ」こそがわかりづらく、そんな自分は「わかりやすさ」を追求する社会から疎外されているような気持ちがするのだという。

 説明のつかないことや存在の矛盾に折り合いをつけて社会に適応していくことが難しいと感じてしまう人がいる。だから本を読む。そうした孤独な本読みたちに、定有堂は深呼吸する場を差し出している。

恩師は一人の高校教師

 奈良さんは長崎生まれの団塊世代だ。哲学や思想を学ぼうと早稲田大学文学部に進学したが、学生運動で大学は混乱し、まともに授業が受けられる状態になかった。大学横断のジャーナル誌の編集に携わるうちに評論を読む面白さに目覚め、高田馬場の古書店を随分と歩き回った。

 卒業後は松竹に就職、歌舞伎の演劇興行の仕事で全国を回る生活が始まった。その一方で、自主講座「寺小屋教室」に通い、翻訳論の草分け・柳父章の「ルソー研究」に参加した。ドイツ哲学、フランス思想などを大学で教える研究者たちも論じていた。私立大学の授業料1年分ほどの高額な受講料だったが、大学院生をはじめ学ぶことに飢える20代が集まった。奈良さんは「寺小屋教室」に通うために出張のない郵便局員に転職した。

 30歳に差しかかり妻の故郷鳥取に移り住むことを考えたとき、喫茶店でも開こうかという奈良さんに「書店がいいぞ」と仲間たちが背中を押した。

 開店の日は鳥取県でいちばん大きな書店の支配人が「仲間が増えて嬉しい」と花束を抱えてお祝いにやってきた。閉鎖的な城下町だと聞いていたが、奈良さんには開放的な気風に映った。

 ところがほどなく来店客から思いがけない指摘を受けた。期待はずれだというのである。どういうことでしょう?奈良さんが問い直すと、その人は「本が好きで始めたのなら、人文書をもっと充実させるべきだ」と、具体的に書名や出版社の名前を挙げて教えてくれた。

 アドバイスを受けて自分でも本を選んで並べてみると、手応えがあった。このことが現在まで続く「本のビオトープ」の原点だ。

 数年後、出会いが訪れた。その人は高校教師だった。京都大学で国史を学び、鳥取県史の編纂に重要な役割を果たした濱崎洋三さんだ。のちに県立公文書館長、県立図書館の館長を務めた。
 濱崎さんの声がけにより、開店から8年後には定有堂教室「読む会」(人文書読書会)が始まった。

「大きな声でものを言う人間を信じるな」「何事も簡単に信じてはいけない」と生徒たちに語りかけるような教師だった。

 県立図書館長時代、濱崎さんはこんなことを奈良さんに話した。
「図書館の職員は本が好きなだけではなく、人が好きでなくてはならない」
この「図書館の職員」を「本屋」に置き換え、奈良さんは大切にしている。

 濱崎さんが1998年に59歳で亡くなり、講演や評論を集めた遺稿集「伝えたいこと」を出版する際は、定有堂が版元となった。3刷を重ね、「定有堂で一番読んで欲しい本」という添え書きとともに、今も店内の目立つ場所に置かれている。

自分で考える人々の存在

「読む会」は2020年2月で377回を数えた。誰でも参加できる。70代から高校生まで、世代は幅広い。会費は連絡用のハガキ代として100円。進行役が毎回本を選び、解説を行い、感想や意見を分け合う。思想や哲学の分野から選ばれることが多い。本を定有堂で買わなくてはならないわけではない。読んでいなくてもよい。会は結論をつくらない。奈良さんは静かに人々の言葉に耳を傾ける。

 ミニコミ誌「音信不通」も出している。奈良さんが東京で「寺小屋教室」の頃に一人で始めたものを、第2期として復刊した。3月で44号となる。毎月1回、地元の歴史家、他県の書店員、アメリカ在住者、放浪の旅人など、多彩な10人少々の書き手の文章をまとめ、冊子にする。仲間のひとりが編集実務を引き受けてくれている。できあがった「音信不通」はレジの向かい側の棚に目立たないように並べてあるが、毎月楽しみに持ち帰る人たちがいる。

「音信不通」の説明をするとき、奈良さんは「リトルプレス」でも「フリーペーパー」でもなく、「マスコミ」に対する「ミニコミ誌」であることを強調した。
 力ある立場から距離をとり、静かに目立たず、だが着実に、日々の思いや考えを発信する。この街の自分で考えることを手放さない人たちの存在を明らかにするものだ。

「聖地」を訪れ、書店を始めた人はたくさんいる。最近は京都市内の古い古民家に金土日だけの書店を開いた31歳の青年がいるという。

「書店経営が厳しい時代に、それでも『本屋がやりたい』という初発衝動に駆られて動いてしまう。いいなあ、すてきだなあと思うんです」

 時代の変化に呼応して、過去には備わっていたものが引き算されてコンパクトになる。そんな結果生まれたものが、若い彼の始めた週末書店だとすると、それも今の時代の書店のありようだと奈良さんは認めているようだ。

 40年の節目を迎えた定有堂は、これからどう変わりますか。

 そう尋ねると、奈良さんの頭の中には設計図があるようだったが、笑って何も答えなかった。

バナー写真:定有堂の外観(写真は全て筆者撮影)

定有堂書店

鳥取市元町121
http://teiyu.na.coocan.jp
営業時間 10〜19時30分(平日)、12〜18時(日祝)
定休日  なし(不定休)
ジャンル 新刊
蔵書数 約12000冊

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February 25, 2020 at 07:01AM
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