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『空と海のあわいに』第5話の(1) - GQ JAPAN

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大輔は夜の隙間を音で埋めた。

一人で部屋にいる時はたいていハウス・ミュージックをかけて過ごした。リズムが主役なのがいい。歌詞とかサビとかそういうのは今の自分には邪魔だった。なんならメロディだって要らない。無機的かつ規則的な音の中だけにとどまっていたい。

季節は秋になったけれど、いまだに家賃の半分は元妻が払ってくれている。正確にいえば、彼女の口座から自動で引き落としになって、大輔の口座からはその半額が自動で送金される。変更の手続きをしていないのだった。貯金の額もそろそろ心許なくなってきた。

急に冬のように寒くなったある夜、大音量でOliver Heldensの「Bunnydance」やVeda Simpsonの「Oohhh Baby」なんかをかけていたら、一樹からLINEが来た。今からここに立ち寄るという。

考えてみれば、今の大輔がなんの用事も目的もなく時間を共有できる相手は一樹ぐらいだった。以前の会社の同僚も多少は気にかけてくれ、飲み会に誘ってくれたりするけれど、会う度に少しずつ話が合わなくなっている。仕事の愚痴を聞くのが嫌なわけではないが、内容がわからなくなってきた。学生時代の友人たちは結婚やら転勤やらですっかり疎遠である。自分が結婚している時は意識していなかったけれど、西麻布や渋谷で遊んでいた仲間も似たようなものだった。他に、これといった理由もなく食事にいったり、雑談をする相手……、紬さんと史郎さんが思い浮かんだけれど、さすがに友達という間柄ではない。

一樹がふらりとやってきたのは、日付が変わりそうな時だった。顔を見てほっとしている自分が頼りなく思えた。

差し入れだといって持ってきたのは、フランス産のウイスキーだった。どうということのないシンプルなボトルだが、雑に作られていないのは一目瞭然。赤いラベルに金色の文字で「BELLEVOYA」とあった。

「ベルボワっていうんだって。行きつけのバーの店主からもらったんだ。ちょっとしたお礼に」

なんでも、その店主が親戚の結婚式に出るのに、ユナイテッドアローズのスーツを貸してやったそうだ。サイズがたまたま同じだったという。

「へえ。フランスでもウイスキーなんて作ってるんだ」

「最近、ちょいちょい見かけるよ。まあワインとブランデーの国だからな。多分、これもおいしいはずだよ。作り手は、ジャン・ピエール・ムエックスの親戚らしい」

「ム、ムエックス?」

「ペトリュスの作り手だよ」

大輔はつまみを求めて冷蔵庫に顔を突っ込んだが、悲しいことにとろけるチーズぐらいしかなく、賞味期限が切れそうなトーストを薄くスライスして、カリカリに焼いて小さく切り、バターを塗って塩胡椒をした。

ウイスキーを小ぶりのグラスに注いで、そのまま流し込んだ。液体を口に含んだ途端、黄金色をした香りが鼻に漂ってくる。液体が喉を通り過ぎてから、甘さが言葉少なに語りかけてくる。大輔がウイスキーに熱中していると、一樹はトーストを口に放り込み、食べ終わってからいった。

「ところでさ、明日の夜、空いてるでしょ?」

「え。なんだよ、その決めつけ。いくら無職だからって、おれだって予定ぐらい……」

「かっこつけんなよ。ないだろ」

「まあ…、たまたま明日の夜はないけど。何?」

「翠月でDJやってよ。渋谷の。地下の。行ったことあるでしょ」

「あるけどさ。おれ、 そういうの、久しくやってないんだけど」

「26時過ぎだし、水曜だからそんな混まないよ。一人、体調崩して飛んじゃったんだ。ちゃんとギャランティ出るからさ」

「正直、それはありがたい」

それから二人は、しばらく打ち込み音とウイスキーに浸っていた。

水曜夜の深夜二時過ぎの翠月は思ったより客が残っていて、フロアもそれなりに混んでいた。照明が連続して点滅すると、フロアで踊る人々がコマ落としで見えた。一瞬一瞬が空間にピンでとめられていくみたいだ。

心なんか動かさなくても楽しめる。身体だけで反応すればいい。大輔は、このまま自分の心を深夜の翠月に置いていってしまいたいと思った。

営業は二十九時までだった。閉店まであと十分になった頃、Lil Louisの「French Kiss」をかけた。1989年に発表されたハウスの定番。途中、女性のあえぎ声が入っていて、そこから燃料が切れたみたいにBPMが遅くなっていく。その後、 リバウンドのように BPMが速く戻っていくのだけれど、大輔はその部分にディレイのエフェクトをかけながらフェイドアウトして、その夜を終わらせた。

店を出て地上に上がると、空が白くなりかけていた。夜を丸ごと一つ使い切った達成感、空の色が刻一刻と薄くなっていく様子、疲労と覚醒がごちゃ混ぜになって身体にすがりつく感じ、みんな久しぶりだった。渋谷の街の体臭に包まれ、大輔は駅へと向かった。

つづく

PROFILE

甘糟りり子

神奈川県生まれ。作家。大学卒業後、アパレルメーカー勤務を経て執筆活動を開始。小説のほか、ファッション、映画などのエッセイを綴る。著書は『産まなくても、産めなくても』(講談社文庫)『鎌倉の家』(河出書房新社)など。

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December 13, 2019 at 07:30PM
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